「今度の休み、どこに行きたい?」

そう聞かれて、本当は行ってみたい場所があるのに、「どこでもいいよ」と答える。

夕食に何を食べるか、何時に会うか、どのくらい連絡を取りたいか。小さなことから大切なことまで、自分の希望より相手の都合を優先する。

一つひとつは、それほど大きな我慢ではないのかもしれません。

けれど、気づけばいつも自分が予定を変え、言いたいことを飲み込み、相手のやり方に合わせている。それが続くと、恋人と一緒にいることそのものに疲れてしまうことがあります。

私が合わせたら、二人はうまくいく。恋愛には歩み寄りも必要なのだから、このくらいは仕方がない。

そう考えてきたけれど、自分は本当に歩み寄っていたのでしょうか。それとも、希望を出せないまま我慢していたのでしょうか。

自分の希望を最初から消すのは、歩み寄りではない

恋人同士でも、考え方や生活の仕方がすべて一致するわけではありません。

会いたい頻度が違うこともあれば、休日の過ごし方や、お金の使い方が違うこともあります。違いがあるたびに自分の希望を通そうとすれば、二人の関係は成り立ちにくいでしょう。

ときには譲り、相手の事情を受け入れることも必要です。

ただ、歩み寄るためには、まず「私はこうしたい」「私はこれは嫌だ」という自分の希望が、二人の間に置かれている必要があります。

自分の希望と相手の希望が違うと分かったうえで、今回はどうするかを一緒に考える。その結果として、こちらが相手に合わせることもあるでしょう。

けれど、相手の考えを聞く前から、「どうせ無理やろう」「私が合わせたほうが早い」と希望を引っ込めてしまえば、二人で調整する機会そのものがなくなります。

自分では何度も我慢してきたつもりでも、相手には希望があったことさえ伝わっていない場合があります。

相手を思いやって自分の希望を通さないことと、自分の希望を最初から存在しなかったことにすることは、同じではありません。

なぜ、自分の希望を出せないのだろう

本当は希望があるのに言えないのは、相手を大切にしているからだけではないことがあります。

希望を伝えたら、わがままやて思われるかもしれへん。面倒な人やて思われたない。口論になるくらいやったら、自分が引いたほうがいい。相手の機嫌が悪くなり、楽しい時間が壊れるのも怖い。

嫌われたくない気持ちから、相手が受け入れてくれそうな自分でいようとすることもあります。

過去に希望を伝えたとき、軽く扱われたり、不機嫌な反応をされたりした経験があれば、もう一度言葉にすることが怖くなる場合もあるでしょう。

「どちらでもいい」と答えれば、その場は穏やかに収まります。何も言わなければ、少なくとも今すぐ関係が悪くなることはありません。

けれど、その場の平穏を守るたびに、自分の希望だけが二人の関係から外されていくことがあります。

不満を言わないことを大人の対応だと思いながら、実際には、自分が傷つかないために希望を隠していることもあるのかもしれません。

「自分で選んで合わせた」のか、「合わせるしかなかった」のか

好きな人のために予定を変えることも、相手が喜ぶものを選ぶことも、それ自体が我慢とは限りません。

自分がそうしたいと思い、納得して選んだのであれば、相手に合わせることが愛情になることもあります。

一方で、「断ったら嫌われるかもしれへん」「希望を言えば機嫌を損ねる」「私が合わせへんかったら、この関係は続かへん」と感じているなら、同じ行動でも意味は変わります。

自分で選んでいるように見えて、ほかの選択肢を持てなくなっているからです。

今回は相手に合わせようと思えたのか。それとも、合わせる以外の答えを出せなかったのか。

合わせたあとに、「相手が喜んでくれてよかった」と感じるのか。それとも、「また自分だけが我慢した」という気持ちが残るのか。

その違いには、自分がどのような気持ちで関係を続けているのかが表れることがあります。

疲れているのに断れない。嫌だと感じているのに受け入れる。何度希望を飲み込んでも、自分が納得して選んだとは思えない。

その疲れは、相手のために動いた量よりも、自分の気持ちを置き去りにしてきたことから生まれているのかもしれません。

二人とも、調整する側にいるだろうか

二人が歩み寄るといっても、すべてを毎回、半分ずつ負担することではありません。

仕事が忙しい時期には、一方が多く合わせることもあります。体調や家庭の事情によって、しばらく片方が支える側になることもあるでしょう。

一度の出来事だけを見れば、自分ばかりが譲っているように見えることもあります。

見たいのは、意見や事情が違ったとき、二人ともその違いを調整する側にいるかどうかです。

こちらが合わせていることを相手も知ろうとしているか。負担が大きくなっていないかを気にかけているか。必要なときには、相手も自分のやり方を変えようとしているか。

そして自分も、黙って相手が気づくのを待つだけではなく、自分の希望を二人の間に置こうとしているか。

いつも同じ人だけが予定を変え、言葉を飲み込み、相手のやり方に慣れようとしているなら、それは双方の歩み寄りとは少し違います。

自分を消さずに、二人の間に置いてみる

我慢をやめることは、これからは一切譲らないと決めることではありません。

自分の希望だけを通し、相手に合わせてもらうことでもありません。

「私はこうしたい」「これは少しつらい」と伝えることは、そのとおりにしてほしいと要求することとは違います。

自分の希望を二人の間に置き、相手の希望も聞いたうえで、今回はどうするかを考える。そのやり取りがあって初めて、どちらがどこまで動けるのかを話し合えます。

恋愛には、譲ることも、待つことも、ときには我慢することもあります。

ただ、自分の希望を最初から消し、合わせるしかないと感じながら、一人だけが関係の形を整え続けているなら、それを歩み寄りだと思わなくてもよいのかもしれません。

歩み寄るとは、自分を消して相手に近づくことではなく、お互いの希望を残したまま、二人とも調整する側にいることなのだと思います。

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