嫌いになったわけではない。別れたいと決めたわけでもない。
けれど、以前のように会いたいと思わない。触れられてもドキドキしない。一緒にいることが当たり前になりすぎて、「私は今も、この人のことが好きなんやろか」と分からなくなる。
長く付き合った相手への気持ちが見えなくなったとき、「ときめかないなら、もう愛情はないのでは」と考えることがあります。
けれど、ときめきが薄れたことと、相手を好きではなくなったことは、必ずしも同じではありません。
ずっと恋している二人でいたかった
昔のチャーミーグリーンのCMのように、年齢を重ねても手をつなぎ、いつまでも仲のよい夫婦でいたい。長く一緒にいても、相手を見ればうれしくなり、恋人らしい気持ちが残っていてほしい。
そんな関係に憧れている人ほど、ときめきが薄れたときに不安になります。
付き合い始めの頃は、会えるだけでうれしかった。相手から連絡が来ると気持ちが弾み、次に会う日を楽しみにしていた。
それが、いつの間にか一緒にいても気持ちが大きく動かなくなる。安心しているというより、ただ慣れてしまったように感じることもあります。
「好きなら、もっと会いたいと思うはず」「愛情があるなら、今でもドキドキするはず」と考えると、穏やかになった関係が、気持ちの冷めた関係に見えてくるのです。
距離が近すぎて、自分の気持ちが見えなくなることもある
同居している場合は、恋人と過ごす時間だけでなく、仕事から帰って疲れている姿や、家事をめぐる不満、生活習慣の違いまで、毎日のように目に入ります。
会う時間を楽しみにする関係から、生活を一緒に回す関係へ変われば、相手を見る目も変わります。
以前なら流せたことに腹が立つ。同じ空間にいるだけで息苦しくなる。小さな不満から、頻繁に喧嘩をするようになる。
その状態で「相手を好きか」と自分に尋ねても、愛情だけを取り出して確かめることは難しいものです。疲れや不満、近すぎる距離への息苦しさが、相手への気持ちに重なっているからです。
「少し離れたら、また会いたいって思えるんちゃうかな。距離をおいたら、ほんまの気持ちがわかるんちゃうかな」
そう考えるのは、必ずしも別れたいからではありません。目の前の生活に埋もれて見えなくなった気持ちを、もう一度確かめたいからかもしれません。
離れたら会いたくなった。それは「好き」なのか
実際に離れて暮らすと、近くにいたときには感じなかった寂しさが出てくることがあります。
電話で声を聞くとうれしい。心細いときには、やはりこの人が必要なのだと思う。次にいつ会えるか分からないと考えると、急に相手を恋しく感じる。
そこで「やっぱり好きやった」と思っても、久しぶりに会えば、想像していたほどドキドキしないこともあります。
そして再び離れると、また会いたくなる。
このように気持ちが揺れると、自分が相手を好きなのか、ただ寂しいだけなのか、ますます分からなくなります。
ただ、寂しいときに思い浮かぶことも、安心できる相手であることも、その人との関係の一部です。だからといって、それだけで恋人として一緒にいたいと決められるわけでもありません。
「会いたいと思ったから好き」「会ってもときめかなかったから好きではない」と、一つの感情だけで答えを出そうとすると、自分の気持ちは何度も反対側へ動きます。
「情がある」と言われて、がっかりする理由
長く付き合った相手に「好きかどうかは分からないけれど、情はある」と言われたら、がっかりする人もいると思います。
情という言葉が、恋愛感情の残りや、惰性のように聞こえるからです。
自分は恋人として愛されたいのに、家族に近い存在や、長く一緒にいたから簡単には切れない相手として見られている。そう感じれば、「もう恋愛ではないのだ」と寂しくなります。
けれど、長く続いた関係では、恋愛感情と情をきれいに分けられないことがあります。
会うだけで高揚する気持ちは薄れていても、相手の体調が悪ければ心配になる。困っていれば力になりたいと思う。自分のことを誰よりも分かっている相手として、そばにいてほしいと感じる。
それを恋愛と呼ぶのか、愛情と呼ぶのか、情と呼ぶのか。言葉の選び方だけでは、その関係の中に何が残っているのかまでは分かりません。
好きかどうかを確かめるために、別れてみたくなる
気持ちが分からない状態が続くと、一度恋人関係をやめれば答えが出るのではないかと考えることがあります。
別れてせいせいするなら、もう好きではなかった。離れたことがつらければ、まだ好きだった。
そのように確かめたくなるのです。
けれど、別れることは、自分の気持ちだけを安全に確認するための実験にはなりません。関係を解消した時点で、相手にも別の時間が流れ始めます。
自分は心の近い友達でいられると思っていても、相手がいつまでも同じ場所にいてくれるとは限りません。相手に新しいパートナーができて初めて、失ったものの大きさに気づくこともあります。
そのときに湧き上がる怒りや悲しさも、愛情だけでできているとは限りません。まだ自分を好きでいてくれると思っていた安心や、いつでも戻れる場所だと思っていた甘えを失った痛みが含まれることもあります。
相手を失いたくないことと、恋人でいたいことは同じではない
相手に新しい人ができるのは嫌だ。でも、自分がこの人とこの先も暮らしたいかと聞かれると、すぐには答えられない。
自分が新しい別の相手と出会うまでは、そばにいてほしい。けれど、この関係を選び続ける覚悟があるかというと、分からない。
そんな気持ちが出てくると、自分はずるいのではないかと思うかもしれません。
ただ、そこで「まだ嫉妬するから好きなのだ」と結論づけると、別の気持ちを見落とします。失いたくないのは、その人自身なのか。それとも、自分をよく知る人、心のよりどころ、一人にならずに済む場所なのか。
もちろん、それらははっきり分けられるものではありません。それでも、「失うのが怖い」と「恋人としてこの関係を続けたい」を同じ答えにしないことは、自分の気持ちを見る手がかりになります。
「好きかどうか」だけでは、関係を決められない
長く付き合った相手への気持ちは、好きか、好きではないかの二択では整理できないことがあります。
ときめきは少ないけれど、一緒にいると安心する。大切な人ではあるけれど、恋人として触れ合いたいとは思えない。離れると寂しいけれど、また同じ生活に戻りたいかは分からない。
どれも矛盾しているように見えますが、一つの関係の中に同時に存在し得る気持ちです。
だから、「この人を今も好きか」と何度も問い続けるだけでは、答えが出ないことがあります。
むしろ見たいのは、今の二人の関係を、この先も選びたいと思えるかどうかです。
ときめきが以前より少なくても、この人と日々を重ねたいのか。二人の間にある不満を、関係を終える理由としてではなく、話し合う課題として扱いたいのか。
反対に、相手を大切に思う気持ちは残っていても、恋人という形からは離れたいのか。
「好き」という感情の強さだけでなく、自分がどのような関係を望んでいるのかまで見なければ、同じ迷いを繰り返すことがあります。
ときめきが消えたのか、見えなくなっているのか
ときめきがないことを、無理に「安心に変わっただけ」と美しく言い換える必要はありません。
関係が本当に終わりへ向かっていることもあります。長い時間の中で、お互いが別の方向を向くようになった場合もあるでしょう。
一方で、生活の近さや繰り返す喧嘩、相手への不満に覆われて、自分の中に残っている気持ちが見えなくなっていることもあります。
確かめたいのは、付き合い始めのドキドキがまだあるかどうかだけではありません。
相手といる今の自分を、どう感じているのか。離れたときに恋しいのは何なのか。失いたくないものは、相手なのか、安心なのか、それとも自分を好きでいてくれる人の存在なのか。
そして、ときめきが少なくなった今も、自分はこの人との関係を作り直したいと思っているのか。
「好きかどうか分からない」という迷いの中には、気持ちが消えたという答えだけでなく、恋愛の始まりとは違う形になった関係を、どう受け止めればよいか分からないという戸惑いも含まれています。
答えを急いで好きか嫌いかに分ける前に、今の二人の間に何があり、自分はそこに何を求めているのかを見る。
それが、ときめきだけでは測れなくなった関係を考える、最初の手がかりになるのだと思います。
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