同じ部屋にいて、相手はすぐそばにいる。一緒に食事をし、他愛のない話をして、ときには笑うこともある。
それなのに、ふとした瞬間、自分だけが別の場所にいるような気持ちになる。
もっと話を聞いてほしい。もう少しこちらを見てほしい。今日あったことだけではなく、そのとき自分が何を感じたのかまで知ってほしい。でも、そんなことを言えば重いと思われそうで、何も言えない。
一人でいるときよりも、恋人と一緒にいるときのほうが寂しい。
そんな感覚があるからといって、相手への愛情がなくなったとも、二人の付き合いが間違っているとも限りません。ただ、今の二人の間に不足しているものがある場合もあれば、相手から受け取る愛情だけでは埋まりきらない寂しさを、自分の中に抱えている場合もあります。
恋人がいることと、心が満たされることは同じではない
恋人がいれば、寂しさはなくなる。好きな人と一緒にいられれば、心は満たされる。
けれど実際には、隣に誰かがいることと、その人に心が届いていると感じられることは別です。会う回数が多くても、話したいことを話せない。連絡は毎日届いても、自分の気持ちには触れてもらえていないように感じることがあります。
年齢を重ねると、それぞれに仕事や生活があり、会える時間にも限りがあります。若い頃のように長い時間を一緒に過ごすことより、短い時間の中でどのくらい心を交わせるかを大切に感じる人もいるでしょう。
自分が話したことに興味を持ってもらうこと。うれしかったことを一緒に喜んでもらうこと。つらかったことを、すぐに解決しようとせず受け止めてもらうこと。
自分が求めているのは、会う時間や連絡の回数ではなく、「私はこの人に届いている」と感じられるやり取りなのかもしれません。
「寂しい」と言えば、もっと寂しくなる気がする
本当は寂しいのに、その気持ちを相手に言えないことがあります。
「恋人がいるのに寂しいやなんて、わがままなんちゃうか」「相手も忙しいんやし、もっと理解せなあかん」「今更、もっと私を見てほしいていうなんて、幼いんとちゃうか」
そう考えて、言葉を飲み込みます。
けれど、言えない理由は、重いと思われたくないからだけではないのかもしれません。本音を伝えて相手が困った顔をしたら。面倒だと思われたら。少しずつ離れていき、最後にはこの人を失ってしまったら。
寂しいと伝えた結果、今よりもっと寂しくなることが怖い。だから、相手を失わないために、自分の気持ちを隠してしまうことがあります。
特に、一人で生活できる基盤をすでに持っている大人にとって、誰かを必要としている自分を見せることは簡単ではありません。一人でも暮らしていける。それでも、この人を失ってまた一人になるのは怖い。その二つの気持ちが同時にあるからこそ、素直になれないこともあります。
相手を失いたくないから言えない。言えないから、心が届かない。心が届かないまま一緒にいるから、さらに寂しくなる。
その循環の中で、相手はすぐそばにいるのに、自分だけが取り残されたように感じてしまいます。
相手からもっと愛情をもらえば、寂しさはなくなるのか
実際に、二人の間に足りないものがある場合はあります。相手がこちらの話を聞こうとしない。気持ちを伝えても軽く扱う。いつも自分の都合を優先し、こちらが求めたときだけ渋々応じる。
そのようなときの寂しさは、単なる考えすぎとして片づけないほうがよいものです。
一方で、相手が優しい言葉をかけてくれたときは安心するのに、少し時間がたつと、また愛情を確かめたくなることもあります。会えれば満たされると思っていたのに、会ったあとには次に会える日が気になる。連絡が来れば安心するのに、少し途切れると不安になる。
もっと大切にしてもらえたら、もっと言葉がもらえたら、もっと必要とされたら、今度こそ寂しなくなる。そう思って相手から愛情を受け取り続けても、満たされた感覚が長く続かないことがあります。
だからといって、「自分を愛せていないから寂しい」と単純に決めつけることはできません。人は誰かとのつながりを求めますし、大切な相手から愛情を受け取りたいと思うのは自然なことです。
ただ、相手からもらう愛情だけでは埋まりきらない寂しさもあります。
たとえば、自分の気持ちをいつも後回しにしているとき。誰かに必要とされることでしか、自分の存在を確かめられないとき。一人になることへの不安を、恋人がそばにいることで何とか抑えようとしているとき。
その寂しさまで相手一人に満たしてもらおうとすると、相手がどれだけ愛情を示しても、足りないと感じ続けることがあります。
寂しさは、相手だけの問題でも、自分だけの問題でもない
一緒にいるのに寂しいとき、「相手は私を愛していないのか」という答えを探したくなります。
けれど、見たいのは、相手が何をしてくれないかだけではありません。
私は、ほんまは何が寂しいんやろう。話を聞いてもらえないことなのか。相手の気持ちが見えないことなのか。弱い自分を見せられないことなのか。それとも、恋人がいても消えない不安を抱えていることなのか。
私は、相手に何を求めているのだろう。それは言葉なのか、時間なのか、関心なのか、安心なのか。「この人は離れていかない」と確信できることなのか。
そして、それはすべて、相手に満たしてもらわなければならないものなのだろうか。
自分の中にある不安や寂しさを自分自身で受け止めることと、恋人との間に心のつながりを求めることは、どちらか一方を選ぶものではありません。
何でも一人で処理できるようになれば、恋人は必要ないということでもありません。反対に、恋人がいれば、自分の中にある寂しさをすべて引き受けてもらえるということでもありません。
自分で見つめ、受け止めていく部分がある。そして、言葉を交わしながら、二人の間で育てていく部分もある。その両方があってよいのだと思います。
隣にいるのに届かないのは、何が言えずにいるからだろう
寂しさを伝えることは、相手を責めることとは違います。
「あなたは何もしてくれない」と相手を評価するのではなく、「私はこんなときに寂しくなる」「本当はこうしてもらえたらうれしい」と、自分の感覚として伝えることはできます。
言葉にしたからといって、すぐに分かり合えるとは限りません。相手には相手の感じ方があり、戸惑うこともあるでしょう。
それでも、自分の気持ちを二人の間に置いたとき、相手がそれをどう扱うのかは見ることができます。そして自分も、相手から与えてもらうことだけを待つのではなく、自分の寂しさの中身に目を向けることができます。
一緒にいるのに寂しいとき、確かめたいのは、「相手は何をしてくれないのか」だけではありません。
私は、本当は何を感じているのか。何を望んでいるのか。どこまでを相手に求め、どこからは自分自身で受け止めていく必要があるのか。
そして、自分の気持ちを隠さずに差し出したとき、二人の間で何を育てていけるのか。
隣にいるのに届かないと感じる寂しさは、相手からもらえていないものだけでなく、自分がまだ言葉にできずにいるものを知らせていることもあるのだと思います。
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