恋愛をしたい気持ちはある。けれど、実際に誰かと親しくなる場面を想像すると、今の自分の体を見られることが怖くなる。
鏡を見るたびに増えた白髪が気になる。以前と同じように食べているだけなのに、体形が変わってきた。写真に写った自分を見て、「こんな感じだっただろうか」と戸惑う。
年齢を重ねれば、体が変化するのは当たり前です。頭ではそう分かっていても、恋愛を前にすると、その変化が急に「選ばれにくい理由」のように感じられることがあります。
体の変化は、ある日突然目に入ってくる
年齢による変化は、一度に押し寄せるとは限りません。それまで気にならなかった白髪が、ある時から目につくようになる。体重は大きく変わっていなくても、以前の服が似合わなくなった気がする。
鏡ではそれほど気にならなかったのに、写真に写った自分を見て驚くこともあります。若い人のように大きく加工するつもりはなくても、フィルターのない写真に映った自分を、すぐには受け入れられないことがあります。
私にも、まだ大丈夫だと思っていた変化が、急に見過ごせなくなった時期がありました。同世代と比べれば、それほど大きな変化ではなかったのかもしれません。それでも、自分の中では小さなショックでした。
さらに、腰や肩の不調などを経験すると、見た目だけでなく、体の内側も確実に年齢を重ねているのだと感じます。周囲から「そんな年齢に見えない」と言われても、自分だけは、以前とまったく同じではないことを知っています。
恋愛を考えた途端、体の変化が「評価」に変わる
普段の生活では、白髪や体形の変化を「年齢を重ねた結果」として受け止められることがあります。ところが、恋愛を考えた途端、その変化が誰かに評価されるものへと変わります。
「こんな自分を恋愛対象として見てくれる人なんて、いるやろか」。写真ではよく見えても、実際に会ったらがっかりされるのではないか。もっと若い人や、きれいな人と比べられるのではないか。
考え始めると、恋愛したい気持ちよりも、「今の私に需要があるのか」という不安のほうが大きくなることがあります。
けれど、「需要があるか」という見方を続けていると、自分まで商品を見るような目で自分を評価することになります。若く見えるか。細く見えるか。相手の好みに入るか。
まだ相手から何も言われていないのに、自分で自分を審査し、先に不合格を出してしまうのです。
服を着て会うところまではできても、その先が怖い
髪を整え、体形が目立ちにくい服を選び、写真の写り方を工夫する。そうすれば、誰かと会うところまでは進めるかもしれません。
けれど、恋愛が進めば、服を着て会話をするだけでは終わらない可能性があります。距離が近くなり、これまで服で隠していた体を見られることを想像した途端、急に怖くなることがあります。
若い頃とは違う肌。変わった体の線。自分でもなるべく見ないようにしている部分。
相手に見られるのが怖いというより、自分自身が見たくないと思っている部分を、好きな人の目を通して改めて見せつけられることが怖いのかもしれません。
相手が実際にどう感じるかは分からない。それでも、「こんな体を見たら、嫌や思われてしまうわ」と、相手の反応を先に決めてしまうことがあります。
会うことはできても、その先を想像すると足が止まる。親しくなりたいのに、親しくなればなるほど、見られたくない自分に近づかれるようで怖くなるのです。
本当に怖いのは、相手の目だけなのだろうか
体に自信がないとき、私たちは相手からどう見られるかを気にします。けれど、その相手の目は、本当に相手自身のものなのでしょうか。
「こんな体を見たら嫌になるに違いない」と考えているとき、まだ相手は何も言っていません。自分が嫌っている部分を、相手も同じように嫌うはずだと先回りしている可能性があります。
自分が「老けた」と思っているから、相手もそう思うはず。自分が「見苦しい」と感じているから、相手も見苦しいと感じるはず。自分の中にある厳しい視線を、相手の視線として想像しているのです。
もちろん、誰もが今の自分を好意的に受け入れてくれるとは限りません。見た目や年齢を重視する人もいます。
ただ、まだ起きていない相手の反応まで自分で決めてしまえば、実際の相手を見る前に、自分から距離を取ることになります。傷つかないために先回りしたつもりが、相手がどのような人なのかを知る機会まで失うことがあります。
自信がつくまで待っていたら、いつ始められるのか
もう少し痩せたら。髪をきれいに整えたら。写真に自信を持てるようになったら。
そう考えることが、身だしなみを整えたり、自分の体を労わったりするきっかけになる場合もあります。けれど、「今のままでは人を好きになってはいけない」という条件になれば、恋愛はいつまでも先送りされます。
年齢を重ねる体は、手入れをすれば変化が止まるわけではありません。今の悩みが小さくなっても、また別の変化が現れることがあります。
自信が完成してから恋愛を始めるのではなく、自信のない部分を抱えた自分で、誰かとどこまで向き合えるか。50代の恋愛では、そのことのほうが大切になるのかもしれません。
体に自信を持つことは、平気なふりをすることではない
今の体を無条件に好きになりましょう、と言われても、簡単にはできないことがあります。変わった体形が気になる。若い頃の自分と比べてしまう。見られたくない部分がある。
その気持ちを無理に消し、堂々と振る舞う必要はありません。親しくなったからといって、準備ができていない段階で体を見せなければならないわけでもありません。
ただ、「この部分を見られたら、必ず嫌われる」と思っているなら、そこには相手の評価だけでなく、自分自身の嫌悪が混ざっていないかを見る必要があります。
自分が嫌いな部分を、相手がどう見るかは分かりません。気にしないかもしれないし、その体も含めて今の自分として受け止めるかもしれない。反対に、自分が傷つくような見方をする相手かもしれません。
大切なのは、傷つく可能性をなかったことにすることではありません。想像の中の相手に先に拒絶させるのではなく、目の前の相手が、自分の不安やためらいをどのように扱う人なのかを見ることです。
今の自分を隠し切る恋愛は、苦しくなる
少しでも若く見える写真を選ぶことや、きれいに見える服を着ることが悪いわけではありません。自分をよりよく見せたい気持ちは、年齢にかかわらず自然なものです。
ただ、実際の自分を知られたら終わると思いながら誰かと近づくと、親しくなるほど苦しくなります。相手の好意がうれしいはずなのに、「まだほんまの私を知らんから」と受け取れなくなるからです。
いつか、加工していない自分を見られる。いつか、服では隠せない体の変化を知られる。いつか、若くないことにがっかりされる。
その「いつか」が近づくたびに、会うのを避けたり、相手の欠点を探したり、まだ何も起きていないのに気持ちを冷まそうとしたりすることがあります。
体への不安があるときに見たいのは、「どうすれば若く見えるか」だけではありません。今の自分のどこを、自分が最も強く嫌っているのか。その部分を、なぜ相手も嫌うと決めているのか。
そして、本当に怖いのは体を見られることなのか、それとも、相手の反応によって自分が抱いてきた嫌悪を確定されることなのか。
50代の体には、50代まで生きてきた時間が表れています。だから素晴らしいと、きれいごとだけで納得する必要はありません。変化した体を受け入れられず、戸惑う日があってもいいと思います。
それでも、自分が嫌っている部分を、相手も嫌うに違いないと決めてしまわないこと。
今の自分に自信がないなら、無理に自信があるふりをするのではなく、何を見られるのが怖いのかを自分で知る。そこから、隠し通すか、すべてをさらけ出すかではない、自分なりの近づき方を選べるようになるのだと思います。
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