誰かと一緒にいたいと思うことはある。

けれど、相手は誰でもいいわけではない。かといって、自分から積極的に出会いを探すほど、恋愛に自信があるわけでもない。

年齢を重ねてからの恋愛では、そんな迷いが生まれることがあります。

一人でも生活はできている。仕事をし、自分のことは自分で決め、日々をそれなりに楽しんでいる。

周囲からも、「一人でもちゃんと生きている人」として見られているかもしれません。自分自身も、そういう大人としての姿に慣れています。

だからこそ今さら、「恋愛したい」「誰かと出会いたい」と口にすることに、思いがけない気恥ずかしさが生まれます。

誰かを求める気持ちはあるのに、その気持ちを表に出すことさえ、ためらってしまうのです。

恋愛したいと思っていることを、知られたくない

恋愛からしばらく離れていると、「誰かと出会いたい」と口にすることが難しくなることがあります。

必死に相手を探しているようには見られたくない。一人でいることに焦りを感じているようにも思われたくない。

物欲しそうに見えるくらいなら、恋愛にはあまり関心がない顔をしていたほうが、自分を保てるような気がする。

友人から、「誰か紹介しようか」と言われても、反射的に、「ううん、別にそんなんいらんし」と答えてしまう。

家に帰ってから、紹介してもらえばよかったのかもしれないと思っても、もう一度こちらから頼むのは気まずい。

「ごめん! やっぱり誰かいたら紹介してくれへん?」

その一言が、なかなか言えません。

若い頃なら、恋人が欲しいと話すことも、それほど不自然ではなかったかもしれません。友人同士で好きな人の話をし、出会いがないと笑い合う。恋愛したいと思っていることを、わざわざ隠す必要もありませんでした。

けれど、大人になると少し違います。

恋愛がなくても、自分の生活を成り立たせている。誰かに頼らなくても、日常を送れている。

そんな自分の姿ができあがっているからこそ、今さら誰かを求める気持ちを見せることが、それまで保ってきた強さを手放すように感じられるのです。

「一人でも平気な私」と、誰かを求める私

一人で過ごすことが苦にならないのは、本当でしょう。仕事や趣味があり、自分の時間も楽しめる。恋愛がなくても、生活はきちんと続いています。

その一方で、ふと誰かと話したくなることもある。何でもない出来事を伝えたいと思ったり、誰かと心を通わせたいと感じたりすることもある。

一人で生きていけることと、誰かと出会いたいと思うことは、本来、矛盾するものではありません。けれど、自分の中では、その二つがうまく並ばないことがあります。

「一人でも大丈夫」と思っているはずなのに、恋愛したいと言ったら、強がっていただけだと思われるのではないか。誰かを紹介してほしいと頼んだら、実は寂しかったのだと見透かされるのではないか。

自立しているつもりだった自分が、急に「誰かを求めている人」に見えてしまう。その変化が恥ずかしくて、何も望んでいないような顔をしてしまいます。

自分の人生を、プロフィールとして差し出す

大人になってから出会いを探すとき、学生時代のような自然な出会いばかりではありません。

同じ学校や職場で何度も顔を合わせ、少しずつ相手を知っていく。気づいたらよく話すようになり、いつの間にか好きになっていた。

そんな始まり方が難しくなると、マッチングアプリなどを使って、出会うための場所へ自分から入っていくことになります。

アプリを入れるところまではできても、プロフィールを書く段階で急に手が止まる。

年齢。写真。婚姻歴。仕事。休日の過ごし方。自分の性格や、出会いを求めている理由。

これまで生きてきた自分の一部を、短い文章と数枚の写真にして差し出すことになります。

本来の自分は、そんな項目だけで表せるものではありません。けれど、まだ会ったこともない人から、まずはその情報で「もっと知りたい」と思う相手かどうかを判断されます。

一人の人間として自然に知り合う前に、まず「選ばれる側」に置かれる。その感覚に、落ち着かなくなることがあります。

プロフィールを完成させなければ、誰にも判断されません。写真を載せなければ、反応がないという結果も目に入りません。

出会いたくないわけではないのに、自分を差し出した瞬間から始まる評価が怖くて、アプリを閉じてしまうのです。

好意を見せたほうが、負けるような気がする

気になる人が現れても、自分からはなかなか動けないことがあります。

話しかけたい。もう少し相手のことを知りたい。できれば、また会いたい。

そんな気持ちがあっても、相手に気づかれないように振る舞ってしまう。

こちらから連絡したら、気があると思われる。会いたいと言って、迷惑そうにされたら恥ずかしい。自分のほうが相手を求めていると分かった瞬間、立場が弱くなるような気がする。

好意を見せることが、負けることのように感じられるのです。

もちろん、本当は勝ち負けの問題ではありません。先に好意を見せたほうが、価値を失うわけでもありません。

それでも、相手の気持ちが分からない段階では、自分だけが心を開くことに不安を感じます。

それは単に、恋愛に慣れていないからではないでしょう。

過去に恋愛や結婚で傷ついた経験があると、気持ちが届かなかったときの痛みだけでなく、その後の自分まで想像できます。

気持ちを引きずりながら仕事をすること。何度もやり取りを思い返し、自分の何が悪かったのかと考えること。ようやく整えた日常を、もう一度立て直すこと。

傷ついた後の大変さを知っているからこそ、始まる前から慎重になるのです。

「別に恋愛なんて」と言っておけば、傷つかずに済む

「別に、恋愛なんかしいひんでもいいし」

その言葉が、ときには自分を守るためのものになることがあります。

恋愛を望んでいないことにしておけば、誰とも出会えなくても失敗にはなりません。好意を示さなければ、断られることもありません。

自分から何も求めなければ、「選ばれなかった」という結果を受け取らずに済みます。

一人でも平気な自分は、強く見えます。誰にも期待していない自分は、傷つきにくく見えます。そして何より、それは長い時間をかけて作ってきた、自分らしい姿でもあります。

けれど、その姿を守ろうとするほど、本当は誰かと出会いたいという気持ちを、自分の中でも扱えなくなっていきます。

誰かを求める自分は、弱い自分なのでしょうか。一人で生きられることと、誰かと関係を築きたいことは、どちらか一方しか選べないものなのでしょうか。

誰かを望む気持ちは、それまでの自立を否定するものではありません。

恋愛に自信がないのではなく、望んだ自分が傷つくのが怖い

「もう恋愛に自信がない」と感じるとき、恋の始め方を忘れてしまったように思うかもしれません。

けれど、本当に怖いのは、恋愛そのものではないことがあります。

誰かと出会いたいと認めたのに、誰からも選ばれへんかったらどうしよう。

勇気を出して好意を見せたのに、相手に受け止めてもらえへんかったらどうしよう。

一人でもきちんと生きているつもりだった自分が、実は誰かを求めていたと知られたら、どう見られるのだろう。

望まなければ守れたはずの自尊心が、傷ついてしまうかもしれない。

だから、恋愛に関心がないふりをする。紹介を断り、プロフィールを書かず、気になる相手にも好意を見せない。

そうしていれば、何も始まらない代わりに、明確に傷つくこともありません。

けれど、恋愛を望むことと、誰かにすがることは同じではありません。

誰かと出会いたいと口にしても、それまで一人で築いてきた生活や、自分の強さが失われるわけではないのです。

自信が戻るまで、待たなくてもいい

恋愛に自信が持てるようになってから、誰かと出会おう。傷つかない自分になってから、好意を見せよう。

そう思っていると、その日はなかなか来ないかもしれません。

自信がない今の自分に、無理をさせる必要はありません。すぐにアプリへ登録したり、誰かに紹介を頼んだりしなくてもよいでしょう。

ただ、自分が何を怖がっているのかを見ることはできます。

本当に恋愛を望んでいないのか。それとも、望んでいると人に知られることが恥ずかしいのか。

誰かと出会えないことが怖いのか。自分から望んだうえで、選ばれないことが怖いのか。

同じように動けずにいても、その理由によって、自分への見方は変わります。

「恋愛に自信がない」という言葉の奥にいるのは、
恋愛ができない自分ではなく、
一人でも生きていける自分を守りながら、
それでも誰かを望んでいる自分なのかもしれません。

そのどちらも自分だと認めることが、もう一度誰かと出会うための、最初の小さな一歩になるのだと思います。

WHERE TO BEGIN

誰かを望む気持ちも、一人で築いてきた自分も。

どちらかを否定する必要はありません。このサイトでは、恋愛の迷いを、自分や相手を責める材料ではなく、自分を知る入口として見ていきます。

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